一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

愚痴を言ってもいい2つの対象

いつもブログに書いているが、強い男たるもの愚痴や不満など言わないに越したことはない。

愚痴・悪口・不満などのネガティブな発言には、安価な麻薬的快楽がある。

今はコロナウイルスによる緊急事態宣言が日本全国に出ており、飲食店はほとんど閉まっているが、普段金曜の夜に赤ちょうちんの居酒屋の近くを通ると、上司や部下の悪口を言っているサラリーマンの集団や、後輩に武勇伝を語っているオジサンの姿を目にする。

あのみっともない人たちの姿を見ると、いつも既視感に襲われる。

昔の自分は、まさしくあの輪の中にいたからだ。

安い酒でベロベロに酔っ払い、普段溜まっている上司の悪口を言うだけ言い、駅のトイレで吐いて帰る。そんなみじめな日々を過ごしていた。

 

彼らを見るたびに、自戒する。

他人に慰めてもらえるなどと甘い考えは持ってはいけない。

今の自分の境遇を作ったのは自分で、全ては自分自身の選択と決断の結果である。

愚痴を言ってその場で気持ち良くなったら、向上心を持つことができない。

だから、ぐっとこらえてプラスのエネルギーに転換していくしかない。

 

しかし、誰だって辛い時は愚痴りたくなることはある。

そこで、今日は愚痴を言ってもいい2つの対象を紹介しよう。

 

①日記帳

②一度セック◯した女子

この2つである。

 

まず、日記帳。

これは、言うまでもなく一番健全だ。

人間ではなく、まずは紙にぶつけるのだ。

誰にも見せない自分だけの日記帳に、その時感じた不満や怒りをありのままの言葉で書き出す。

外の世界に漏らさず、こっそり自分で内省しよう。

日記帳はさっきの赤ちょうちんにいた会社の後輩のように、相槌はうってくれない。

自分が紙に書いたことをじっくりと見つめることで、その悪口や愚痴が実は不当なものであることに気づくこともできる。実に生産的な行為なのである。

 

どうしても、人に愚痴りたくなったら、一度セック◯をさせてくれた女子がいいだろう。いわゆる「既存さん」というやつだ。

一度セック◯をする前の女子に弱音を吐いてしまうと、弱々しい男だと思われ、できるはずだったセック◯もできなくなってしまう。

だが、一度身体と心を許してくれた女子には打ち明け話をすることもよかろう。

たまに弱みを見せることで、逆に喜んでくれることさえある。

ただ、もちろん頻繁にそんな姿を見せてはダメだ。

普段強い男が、たまに弱さを見せるから許されるのである。

 

基本的に愚痴はダメ、人生は自責マインド。

ただ日記帳とセック◯した女子にだけはOK。

覚えておこう。

 

 

おしまい