一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

他人を注意する時に一番注意すべきこと・・

若かりし頃、会社の先輩にこのようなことを言われた。

その先輩は仕事ができないくせに、説教ばかりしてくる人だった。

私の勤め先は上司・先輩の言うことが絶対なのだが、新入社員時代は若気の至りでけっこう意見を言ったりしていた(まあ、実際にはそれが健全な組織としてあるべき姿なのですが)。

 

先輩「みんな、お前のこと生意気だって言ってるぞ! お前のためを思って言ってるんだ!」

一匹狼「すみません、『みんな』って誰ですか?

先輩「黙れ! そういうところだよ!」

 

このように漠然とした「みんな」を主語に借りてきて、他人を注意することってないですか?

これ、本当にやめたほうがいいと思う。

大体の場合、その「みんな」というものは存在しないか、多くてその人の周り数人である。

そうした個人的な怒りや苛立ちを「みんな」という主語に置き換えて、一人を攻撃しようとするのである。

 

これ、最近初めて知ったのだが、ネットスラング太宰メソッドというらしいですねw

太宰治先生の傑作『人間失格』にある主人公と友人のやり取りのシーンで、非常に似たようなシーンがあり、それに由来するらしい。実に上手い例えである。

「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
(中略)
ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)

 

だから、私は他人を注意する時には、

「俺は、こう思う」

「他人はどうか知らんが、こうした方がいいんじゃないか」

と、あくまで個人的な意見表明として相手に伝えるようにしている。

そこにいない人間の力を借りて説得しようとするのは、めちゃくちゃ感じ悪いしカッコ悪いと思うんだよね・・

まあ、基本的に他人はどうでもいいので、滅多なことでは注意しませんが。

 

なお、冒頭の件に限って言うと、きっと「みんな」というものが存在していた気がします。それくらい、生意気な時期もあったんですよね・・丸くなってしまったな。

 

おしまい