一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

人生の残り時間と浮世の付き合いについて

3月のノーマスク解禁、先日のコロナ5類移行に伴い、飲みのお誘いが止まらない。

コロナ前、ここまで飲み会が多かったか? と思うほど、社内外・老若男女から飲み会へ行こう行こうと連絡が来る。

 

昔は誘われた飲み会は基本的に全て参加していたが、それは新聞・読書・勉強をサボって女の尻ばかり追いかけていた20代の頃の話。

飲みに誘われるということは、少なくとも一緒にいて面白いヤツ・不快にならないヤツという認定をされているはずなので、それ自体はありがたい話ではある。

しかし、40近くなり人生の残り時間を考えるようになったところ、酒を飲むと酔いがさめる翌朝までは頭が使い物にならないので、そうした時間がもったいないと思うようになり、単なる「消費的」な飲み会は断るようにしている。言い換えれば意味のない・乏しい飲み会だ。

 

逆に「投資的」な飲み会には行っている。今後何かしら自分にプラスになると考えられる飲み会である。

・自分の社内の地位を上げる(維持する)・人事異動や転勤を回避するための飲み会
・これからの貸しを作る・これまでの借りを返すための飲み会
・自分の知らないこと・知りたいことを知っている人との飲み会
・人間的に尊敬できる人・一緒にいて心から楽しい人との飲み会

最後は若干投資という意味とは合わないかもしれないが、自分が納得できる意味を持った飲み会にだけ参加するようにしている。こういう飲み会なら、躊躇わずに金と時間を差し出すことができる。

 

我ながら随分とつまらない男に成り下がってしまった気はするのだが、週に何度も同僚と飲みに行って成功している人を最近は特に見かけなくなったので、キッパリと浮世の付き合いを断るようにしている。

まあ、断ること自体ある程度心理的な負担がかかるので、ダラダラ残業している時とか、夕方以降に予定がないことを知られている時など、飲み会が始まりそうな雰囲気を察知し、その場から離れることなども大事に思う。

 

おしまい