前職の人間関係は、ほとんどリセットした。
99%良い思い出がないし、色々とその後の自分について詮索されるのがイヤだったからだ。
それでも、ほんの数人だけ、いまだにLINEがつながっている。そのうちの一人(43)から、たまに連絡が来る。
社会人の一番初期に世話をしてくれた先輩なので、その時の恩義は忘れないようにしているのだ。だから、一応絶縁しないでおいている。
しかし、連絡が来るたび、
「マジでこの会社やめたいんだよね」
「もう限界だわ」
「本気で転職考えてる」
10年前から、壊れたラジオのように同じことを言っている。
でも、いつまで経っても彼はやめない。「でもさー」と言い訳を並べ、「今はタイミングが…」と現状維持を正当化する。
こちらはというと、誰にも相談せず、淡々と準備を進め、ある日突然退職を告げた。
あの瞬間の解放感を、今でも忘れない。あの日地下鉄の出口から見上げた空の青さを。
本当にやめる人間は、口に出さない。
“やめたい”と言うことで自分を保っているうちは、やめない。
それが、改めてわかった。
「家庭があるから」「今はタイミングじゃない」「上司が変われば」——
まるで、状況さえ整えば自分はやれる、とでも言いたげだ。
しかし整うことは一生ない。自分で壊して、決意して、出ていくしかないのだ。
この10年で、彼は一歩も動いていない。
職場の不満を話す相手も、おそらくもう私くらいしか残っていないのだろう。
「いやー、でもなー、給料はいいからなー」とため息混じりに言い訳を並べるLINEが届くたび、思う。
ああ、この人は一生このままだ、と。
数年前まで、同じ場所にいた自分が、今や完全に別世界にいることを、こういう時に実感する。
社風も、人間関係も、働き方も、人生哲学も全部変わった。
もちろん新しい職場にもストレスはあるが、少なくとも「自分で選んだ場所」だという納得感がある。
そして、あのとき「やめる」と決断した過去の自分を今でも褒めたいと思っている。
私は今、そのJTCおじさんを、生温かい視線で観察している。
JTCを抜け出した自分の正しさを定期的に確認する装置として機能させている。
「もしあのまま残っていたら自分もこうなっていた」という亡霊が彼だ。
そしてこう思う。
ああ、本当にやめてよかった、と。
おしまい