一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

古い人間関係を迷わず断捨離する

今日も真面目系の話を。

 

以前の記事で、僕は友達が少ないということをお伝えした。

alonewolf-memorandum.hatenablog.com

 

 

 

それはもう、本当にびっくりするくらい少ないのである。

今現在、本当に「友達」と呼べるのはほんの数名である。

この人達は、僕のことを「友達」と思っていてくれるはず。(おそらく)

 

 

僕は属してきたコミュニティ内でそもそも友達が少なかったのだが、コミュニティが変わる度に前のコミュニティ内の人間関係を迷わず始末するということを繰り返しやってきたので、今は気が合う会社の先輩・同期数名のみだ。(ブログでたびたび紹介しているナンパ師匠のトムも含む)

モノにしても人間関係にしても、持つものが少ないというのは非常に快適な人生である。

 

 

高校生になり、小中学校の地元の友達を捨てた。

大学生になり、高校時代の友達を捨てた。

社会人になり、大学自体の友達を捨てた。

 

コミュニティが変われば考え方が変わる。

気が合わない友達、ましてや生活水準の合わない友達ははいらない。

10代の頃からずっとそう考えて生きてきた。

 

母に何度か言われたことがある。

「あなたは友達を大事にしなすぎる」

と。

 

そんなことは知ったことではないのだ。

「あいつらはバカだから嫌い」

「あいつらは貧乏だから嫌い」

と一喝してきた。

(性格悪い。こりゃ友達もできんわけだな笑)

 

 

僕は小中学校は都内の公立小中学校に通い、高校はそれなりの進学校に行き、まあまあ名の知れた私立大学を卒業した。

 

小中学校時代は、周りの連中のレベルの低さにずっとうんざりしていた。

地元の小中学校時代の同級生は、所謂マイルドヤンキー(※)と言われるような人達ばかりで、とにかくつるむのが好きだった。

※地元に根ざし、同年代の友人や家族との仲間意識を基盤とした生活をベースとする若者。現代の一般的な若者の志向とされる都市部集中、車離れ、晩婚化、少子化とは異なる経済活動や行動様式を持つと定義され、仲間と同乗して車を使い、地元企業に勤めて週末は幼なじみとショッピングモールに出かけるなど、行動エリアが半径5キロメートル以内で完結するという。
傾向としては、地元志向が強く、郊外や地方都市に住み、低収入で、ITへの関心やスキルが低い、小・中学校時代からの友人関係を続ける、「できちゃった結婚」の割合が高い、子どもにキラキラネームをつける、喫煙率や飲酒率が高いなどを挙げている。

(一部引用:コトバンク

 

都内では、コンビニの前に座って夜中までグダグダ話している、ああいう奴らだ。

僕は、向上心がなく、ヘラヘラしている彼らが嫌いだった。

まあ、向上心がないのは彼らの自由だし、きっと向こうも僕のことをお高く止まっていて鼻につく奴と考えていたに違いない。

価値観が合わない人間はうまくやっていけない、そういうものである。

 

 

高校に進学した時、初めて自分と話せるレベルにある人が世の中にはこんなにたくさんいるんだと感動した。

小中学校の友達が悪いとかそういう話ではなく、やはり人は自分に合ったレベルの場所が居心地がいいのだ。

 

 

大学に行くと、さらに高い知能をもった同士が待っていた。

彼らに追いつけるよう、僕は必至に勉強をした。

すると、今度は高校時代の友達と話が合わなくなっていった。

同窓会に行き、とても居心地が悪い思いをしたことは、以前の記事で書いたとおりだ。

 

 

昔からの縁だからといって、なんとなく友達関係を続けていないだろうか?

それで、何かあなたは得るものがあるだろうか?

困った時、その友達はあなたを助けてくれるのであろうか?

 

多くの場合、答えは「NO」だろう。

 

 

いらないと感じたもの・不愉快なものは迷わず捨てる。

会いたくない人と人間関係を保つ必要など少しもない。

そもそも、好き嫌いをはっきりさせることはとても大切だ。

万人に好かれようとする人は、結局空気のように扱われ、誰からも好かれない。 

大胆に人間関係を切り捨て、快適な人生を送っていこう。

 

 

ちなみに、同様の主張は多くの著書でホリエモンもしている。

 

 

ちょっと悪口みたいになっちゃったけど、今日はこの辺で。