一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

マイルドヤンキーが嫌い

三連休は父上・母上に会うために実家に帰っていました。

特に今回は知り合いと飲みに行くこともせず、転職本を読んだり、リクルートエージェントに登録したり、キャリアシートや職務履歴書を作成したりと有意義な時間を過ごしました。

関連記事:リクルートエージェントに登録してみた

 

実家にいると上手い飯がタダで出てくるから本当に素晴らしい。

よく言われることだが、家を出て初めて親のありがたみというものに気がつくものである。

父ちゃん・母ちゃん愛してるぜ。

 

一方、地元に帰って面倒だなと思うのが、小中学校の同級生(またはその家族)の誰かしらにほぼ必ず道端で遭遇することである。

僕の地元にはもうマイルドヤンキーしか残っておらず、僕のようにまともに(失礼)大学に進学し、就職した人間はとっくに街を出ている。

彼らとは昔から恐ろしく価値観が合わなかったので、正直話すらしたくないというのが本音だ。

僕はマイルドヤンキーが嫌いなのだ。

 

では、マイルドヤンキーがどうして嫌いなのか。 

過去のNHKの番組でマイルドヤンキーはこのような性質を有するとして紹介されていた。

・『絆』、『仲間』、『家族』という言葉が好き

・『地元』(家から半径5km)からなるべく出たくない

・車(特にミニバン)が好き

・ショッピングモールが好き

EXILEが好き

 

思わず頷いてしまうような内容ばかりだが、僕は特に1点目と2点目の閉鎖的な価値観が好きではない。

なるほど、Facebookを開けば未だに「○○(←地元の地名)会」という名の飲み会を定期的に行ってはSNSにアップし、そこでは『絆』とか『仲間』というワードが羅列されている。

彼らがやたらとインスタやFacebookで頻繁に近況を報告する裏には、「俺リア充」アピールをすることで、友人に対してマウントを取りたい心理があると僕は思っており、そういう自分の私生活を写真付きで載せちゃうのってスゴイ気持ちが悪いと僕は思うのである。

地元の商店街に行くと地元から出ない彼らに会ってしまうので、自宅近くのコンビニ以外では買い物はしないし、人通りの多い場所は通らないようにしている。 

僕は東京都内の中心から外れた静かな街で育ったのだが、都内だってマイルドヤンキーは当たり前のように生息しているのだ。

 

少し話は脱線するが、もう少しマイルドヤンキーの悪口を言わせてほしい。

僕は仕事柄ほぼ平日は東京の外にいるので、田舎に行けば行くほどマイルドヤンキーたちの「楽園」を見かけるのは面白い。

それはイオンモールをはじめとした大型ショッピングモールである。

ここ10年ほどで、次々と地方に建築されているが、それらは地方交付税交付金によって建築されているケースも多いという。

大都市圏で必死に働いた僕たちが生み出した税金でもって、貧困層である彼らが休日をダラダラと過ごす大型ショッピングモールが作られているというのは何とも許しがたい気分である。

これに限らず、日本は貧困層に甘いんだよなぁ。

 

マイルドヤンキーは、乏しい収入や社会的身分の低さを「絆」や「仲間」で補っている。

そんな彼らが地元を離れようとしないのは、同じ空気を共有できなければ友情が枯れてしまうことを知っているから。

彼らにとっての「仲間」とは、空間的にも排他的な人間関係なのである。

 

また、橘玲氏の言うように、個人の人生において、金融資産(富)と社会資本(豊かな人間関係)は原理的に両立不可能なのだ。

金融資産(富)が大きくなると 、すべての人間関係に金銭が介在するようになって友情は壊れていくからだ。

地方のマイルドヤンキーが友情を維持できるのは、全員が平等に貧しいからなのである。

 

さらに、「マイルドヤンキー」という言葉の生みの親である原田曜平氏の著書『ヤンキー経済』では、このような図が出てくる。

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自分で言うのもなんだが、僕はマイルドヤンキーの対極にいるようだ。

人間関係は常にアップデートするように意識しているし、最先端の情報には常に触れているように努力している。

関連記事:人間関係を常時アップデートしていく

 

僕が彼らのことが嫌いな理由はたくさんあるが、結局のところ、彼らが向上心のない閉鎖的な仲間内でマウントを取るという「相対的な」価値観で生きていて、その価値観が僕に合わないからだと思う。

まあ、このように今彼らを悪く言うのも、実は少年時代にマイルドヤンキーに憧れたのに入れてもらえなかった過去があったりすることもある(笑)のだが、あの頃彼らの仲間入りをしていたら、今頃貧困にあえいでいた可能性もあるわけなので、よかったとしか言いようがない。

 

価値観が合わないだけで「嫌い」というのもなんだか理不尽な気もするが、価値観が合わない人を嫌うというのは人間として自然なことである。

簡単なことで、やはり彼らとは「可能な限り遭遇しないように努力する」というシンプルな手法でもって対処していきたいと思う。

彼らには彼らの、僕には僕の考え方がある。

 

でも、やっぱり一生付き合う人間を変えず、「俺らは貧乏だけど大切な仲間がいるから幸せ」的な発想ってスゲーくだらねえって思うけどね。

 

その他、地元に帰ると近所のおじさん・おばさんが「あら立派になって」と声をかけてきたり、クラスの女子に告白して玉砕した非モテ時代を思い出したりして、いろいろ精神衛生的によくないので、引き続き父上・母上の顔を見に帰るときは、人目を避け、周囲にはそのことを告げずにひっそりと帰省しようと思った次第である。 

 

ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体 (幻冬舎新書)

 

 

おしまい