一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

幼少期に女に好かれるには純粋な勇気がいる

先日、久々に実家に帰り母親と話していたところ、少し前に私の同級生の女子(既婚・子持ち/A子とする)の母親が家に遊びに来たらしい。

A子の母親曰く、私がA子にとって「永遠のヒーロー」ということになっていて、そのエピソードが、数年に一回家族の会話の中で出るらしい。

 

そんなA子は勝気で、気に入らないと男をすぐ叩く女子だった。小学校高学年までは女子の方が成長期が来るのが早くて身体が大きいこともあり、どのクラスにも2〜3人そういう児童はいましたよね。

そんなA子の永遠のヒーローってどういうことなんだ・・?

 

ある放課後、翌日に開催されるクラスのイベントの準備で、A子が別の階に重たい荷物を持っていくところだった。

それを後ろから同じく荷物を持って通りかかった私が、「それ、ここに乗せてけよ」とサラっと言って荷物を奪って持って行った、ということらしい。

たったそれだけ(笑)

 

ちなみにこの話、私本人は全く覚えていない・・

思うに、小学生が異性に親切にするというのはかなり勇気のいることで、その一部始終をクラスメイトに見られようものなら翌日には全員が知っていて茶化されるというリスクがある。

大人と違い、子供の世界は狭いので、1ヶ月くらいはイジられる危険性をはらんだ重たい行為なのである。

 

一方、私は当時からサイコパス気味で、割と女子に優しくできる性格だった(そしてなぜかクラスメイトもそれを私に強く言えない)ので、上記のような行為ができた。

もちろん、当時はセック○のやり方なんてものは知らないので、単なる親切心から出た行動である。

思うに、幼少期に女子の歓心を買うには、お金は全くかからない代わりに純粋な勇気というものが必要とされる。

 

一方、大人になると、どのような戦略で家に連れ込もうとか、この女子には金をかけたくないのでこのグレードの店でいいやとか、セック○のことばかり考えて動くようになる。

女子もそういうことを察知するので、男の下心というものを想定してデートなどに応じるようになる。これは仕方ないことだ。

 

30年も前のことをいまだに言っているということは、女子にとって下心のない男のカッコよさというものは、永遠に色褪せない価値があるのかもしれない。

ただ、もう私はそのヒーローにはもうなれない。性というものを知ってしまったから。

となると、小学校時代の幼なじみと結ばれるというのが、ある種一番幸せなのかも・・と3周くらいしてふと思ったのでした。

 

おしまい