今回もD・カーネギー『道は開ける』から、「幸福をもたらす精神状態を養う方法」をご紹介していく。
同節ラスト7章目のタイトルは「二週間でうつを治すには」というもの。
こうしたタイトルとなったのは、『嫌われる勇気』で一躍有名になった精神分析医アルフレッド・アドラーが、うつ病の患者に対していつも言っていた以下の言葉が引用されているからだ。
「この処方どおりにしたら、(うつ病は)二週間できっと全快しますよ──それは、どうしたら他人を喜ばすことができるか、毎日考えてみることです」
「他者貢献を通じて幸福を得る」という、人格主義者・キリスト教徒であるカーネギーの特に好きそうな内容の話である。実際に本章にはかなりのページ数が割かれている。
・両親を失った子どもが、クラスメイトの勉強を手伝っているうちに、いじめられなくなった話。
・長年病床にありながら、他の病気に悩む人々に見舞いの手紙を書いたり、書籍やラジオを送ったりすることに、楽しみを見出している男の話。
・たまたま知らない街の教会でクリスマスの晩に会った二人の孤児と過ごすことで、一晩にして夫を失った悲しみを乗り越えた女の話。
・病のために一日のうち22時間をベッドで過ごしていた女が、日本軍の真珠湾攻撃を機に、自宅が米軍の情報交換所となり、自身も電話の応対をしているうちに、病気がすっかり治ってしまった話。
など、他人のために役立つように努力することから、幸福や喜びを得た人物のエピソードが多く紹介されている。
さて、ここからは僕の本音だ。
「他社貢献を通じて幸福を得る」という価値観は、もちろん頭ではその正しさがわかるのだが、正直、今の僕にはなかなか実行するのは難しそうだし、ややキリスト教的理想論にすぎるように思ってしまった。
実際、僕のような無神論者からの反論は想定しているようで、本章の後半で、著名な無神論者を数名挙げて、彼らでさえ他人への奉仕から喜びを得ているという逸話が紹介されている。
それでも、やはり、僕は自分の身の回りのことで精一杯だし、「気配り」というのは他人に配るだけの心の余裕がないとできないものだ。残念ながら、今の僕にそんな心の余裕はない。
でも、覚えている。
小学生の頃、僕は友人に見返りなしの親切を与え、感謝されることに喜びを覚えていた。
というか、少なくとも10年くらい前までは「優しいね」と言われることが多かったように思う。
社会の荒波に揉まれ、メンタルが強くなっていくにつれて、感情というものを失ってきた。
自責マインドで生きていかないと、この厳しい世界を生きていくことはできないのだ。
「すべては自己責任」、そう考えている人間が、一方で他者貢献をして、そこから喜びを得ようとするのはかなり難しいことなのだ。
年月は人をいろんな風に変えていく。程度の差こそあれ、誰だってそうだろう。でも、それは仕方がないことだ。人生は砂漠みたいなところだし、それに馴れていくしかないんだ。
他者貢献は、その必要性の検討も含めて、40歳手前の僕の今後の課題になりそうだ。
これからは自分のことだけ考えるのではなく、他人を喜ばせることも意識の隅においておこう。
われわれに平和と幸福をもたらす第七の鉄則をここに掲げておく。
◉他人に興味を持つことによって自分自身を忘れよう。毎日、誰かの顔に喜びの微笑みが浮かぶような善行を心がけよう。
おしまい